シュタインズ・ゲートで会おう。

───俺だ。ガッツリネタバレしている。見たことないなら読むな。

 

言いたいことは山ほどあるがこれだけは伝えておく。

やりきった後の無気力感に苛まれてしばらく何も出来そうにない・・・

 

そしてフェイリス・ニャンニャンは神

 

 

シュタインズ・ゲートとそのゼロの原作をやってアニメを見た。ちなみに前知識はほとんどなく、ぜつえーら友人の会話に出てきたセリフ程度である。一時期事あるごとにすぐにシュタゲの話題に収束していってたが、正直プレイする前は面白いと言っても普通に面白いの域の作品だと思ってた。

 

まずは無印の原作を終わらせた。一番最初に出てきた感想は

「俺は一体何をやっていたんだ」

もっと早くこのゲームを遊んでおけばよかった。こんな名作もっと早くにやるべきだったんだ。10年前の俺にシュタゲをやれってDメールを送りたい。もしかしたら、世界線変動レベルで性格が根本から変わっていたのかもしれない。

悪い方に。

いや、今やったからこそこの感動を味わえているのか?なんにせよ手を出してよかった。こんな感覚そうそう立ち会えるものではない。中途半端に知識をもっていたりしなくてよかった。よくやった俺。

ノベルゲームは遊んだことなかったので楽しめるか不安だったが杞憂に終わった。むしろシュタゲという名作にノベルゲーム初体験という刺激が上乗せされ、何物にも代えがたい体験になったのは言うまでもない。

 

 

まずこのシュタインズゲートのストーリーを簡単に説明すると、序盤は過去にメールを送れるようになり俺(オカリン)の親友の過去を変え幸せにしていく。しかし過去を変えたことによって世界が俺(オカリン)にとって都合の悪いものになっていき、過去にメールを送ったのは間違いだったと悟る。中盤からその過去に送ったメールを打ち消すメールを送り、そして終盤すべてを打ち消し過去改変のなかった時間軸に戻った先には・・・!!といった物語である。

そしてゲームのシュタゲのやばい点は選択は俺(オカリン)に委ねられているということ。メールの返信内容や電話を取るタイミングなど。

そして、過去を変え幸せにした親友たちを自らの手によってその幸せを掴むことのなかった世界線へと戻す。その選択も俺(オカリン)に委ねられている。心根の優しい俺(オカリン)が選択するというストレスは半端なかった。メールの送信ボタンに触れていた手は震えていた。

メールを打ち消していけば幸せだった元の世界線に戻れる。そう信じて選択していった。鈴羽、フェイリス、ルカ子、桐生萌郁、それぞれの思いをなかったことにし、あとは世界線変動の原因となったエシュロンに捉えられたDメールを消すのみ。それによってβ世界線に戻ることができる。それが一体何を意味するのか。

結局大切な人が亡くなるのは変わりない。

これまで苦しい思いをして選択してきた先に待ってるのは絶望。許せない。なぜこんなシナリオを書いてしまったのか。最後の選択を俺(オカリン)がすることになっていたらもうどうしようもなかった。ゲームやめていたかもしれない。それでも。ただautoで流される物語を受け取るだけでも、どうしようもなく辛くて。その鬱屈から開放されるためトゥルーエンドを目指すのだった。

 

トゥルーエンドに到達したときのカタルシスはそれはもう筆舌に尽くし難いものだった。筆にするとよっしゃ救うぜ~うええ俺が殺し何だ未来の俺からメール!?もっかいやるか!!??やったー!!成功した!!うれしーー!!!シュタインズ・ゲート世界線最高ー!!!いええええええええい!!!!

ちなみにトゥルーエンドのルートに入るには物語の途中で送られてくるメールに正しい返信をする必要があるが、メールのやりとりの経験に乏しい俺(オカリン)は諦めた。というより模索してる余裕がなかった。とっとと救われないとぐっすり眠ることができなくて。序盤の日常パートで「まゆしぃは、馬鹿だね~」とか言っていたのが嘘みたいに後半はのめり込み、俺の意識は完全にオカリンになってしまっていたのだ。

かくして、シュタゲを終えた俺(オカリン)は間髪入れずAmazonでブルーレイを購入し、視聴したのであった。それだけでどれほどこの作品に魅入られたかおわかりであろう。

もちろんゼロではなく、無印のである。

アニメはあっという間に見終わった。テンポが良く、まるで五倍速で原作を見た感じ。事実時間にするとちょうどそのくらいだった。しかしながらヌルヌル動くキャラクターや、アニメだからこそできる演出に魅入られ見終わったあとの達成感はゲームと大差なかった。

最高ではないか!!

なによりに未来の俺(オカリン)からのメールの場面。オペレーションの解説をする瞬間に『スカイクラッドの観測者』を流す演出が本アニメを神作品たらしめる要因であることは明白。他にも秋葉原が電気街になったことに気がついた瞬間や俺(オカリン)が愛を確かめる場面などゲームの背景と立ち絵だけで俺が想像で補完するしかなかった部分を、これもまた想像を超えてくる演出で見せられて感動が絶えなかった。見てる間はずっと緊張していたと思う。手も目も鼻も汗でぐっしょりだったのは覚えてる。

 

勢いそのままにシュタゲゼロのゲームを始めた。執筆に疲れてきた。

 

細かい話は抜きにするがゼロの流れは、シュタインズ・ゲート世界線に入れず、最愛の人を自らの手によってあやめてしまったあと救いがなかった俺(オカリン)が、俺(オカリン)を救うために尽力する話だった。そして最初の俺(オカリン)はα世界線と帰ってきた直後に起こったことをなかったことにしようとして無理して生活していた。

もう最初からキツかった。まゆりやルカ子、フェイリスが心配してものすごく気を使ってくれていたのに俺(オカリン)は上の空。あまりにもダメ人間になってしまっていて俺とオカリンのシンクロ率が低下してオカリンに愛想がつきそうになっていた。メタ発言になるが、結果がわかっていたから耐えれていた節はある。

キツイのは最初だけかと思いきや、amadeusと対話し、ようやく気持ちが整理できてきたタイミングで様々な脅威が降り掛かってくる。俺(オカリン)はなるべく関わりを持たないようにするんだけど巻き込まれてしまう。その節々で分岐点があり、どの選択をしても結局は不幸な結末を迎えてしまう。終始俺(オカリン)が可愛そうで仕方なかった。

ゼロはマルチエンディングだが無印とまったく違う意味合いを持つ。それぞれのルートによって物語が大幅に違い、それぞれのエンドがなければシュタインズ・ゲート世界線への糸口を見つけ出すことができないのだ。アニメも見たのだがゼロに関してはアニメよりもゲームのほうが自分の好みだった。一つのエンドで送ったDメールが次にニューゲームした物語の途中で送られてきたときの得も言えぬ感動はゲームでなければ味わうことができなかったであろう。『答え』に辿り着くまでにいくつもの世界線を旅したという俺(オカリン)の苦悩が痛いほど理解できた。

 

ゼロはシュタインズ・ゲート世界線に到達するまでの下準備の物語。トゥルーエンドに到達したからといって全てが報われるわけではなかった。ただ、パッとしない俺(オカリン)が覚醒する。鳳凰院凶真になるまで長かった。なんなら悲劇を目の当たりにしてもなお覚醒せず、諦めて第三次世界大戦を受け入れた世界線もあった。だからこそトゥルーエンドは重かった。無印の頃よりホッとしたかもしれない。

アニメでは最後、まゆりが過去に飛び立ったあとの話も描かれている。まゆりと俺(オカリン)が最高にかっこいい上に、シュタインズ・ゲート世界線に到達したと確認できた。ゲームにはなかったが、その描写がなくとも俺(オカリン)は絶対に成し遂げられる、成し遂げるまで何度でも繰り返すことを確信していた。不安はなかった。それを加味してもアニメを見てよかったと心から思う。

アニメは1話から見て話がわかるように綺麗にまとまっておりすごいと思った。ただそのせいでゲームにはあったが消されたエピソードが無印と比べると多いように思えた。ゼロに関してはどちらもするべきかもしれない。

語彙力が死んできたのでそろそろ終わります。

 

この3月。頭にVRChatにハマり、3Dモデルを作った。

本来ならば勢いそのままに華々しくVtuberデビューをするはずだったのだ。

そしてしこしこ動画作成に勤しむ一月になると思っていた。

まさかシュタインズゲートにハマる一ヶ月になるとは予想だにしなかった。

まさに青天の霹靂。

 

だからこそシュタインズゲートにハマり堪能したことを忘れてはいけない。

 

約一ヶ月に渡る世界線漂流をなかったことにしてはいけない。

 

俺はすぐに記憶から消してしまうから記録に残す。

これから先何が起きようとシュタインズゲートという名作に出会えたことは、人生にとって間違いではないだろう。

 

次の更新は『アベンジャーズ エンド・ゲーム』を観た後だな。

検討を祈る。

エル・プサイ・コングルゥ